2025年8月、公開トークイベント「ろう者と聴者が遭遇する舞台のつくりかた」が開催された。『黙るな 動け 呼吸しろ』は、言葉や文化が異なるろう者と聴者が創作の場において協働し、様々なテーマでの議論を重ねるなかで互いに気づきや発見を得ることから立ち上げられてきた作品だ。今回のトークは、最終的なアウトプットとしての作品からは見えづらい、創作プロセスで起きたことやそこでクリエーションメンバーが感じたこと・考えてきたことなどを観客に共有することを目的として開催されたものだ。
プロジェクトは中心メンバーによる会議が2023年6月に始動したところからスタート。当初は事業主体である東京都と東京藝術大学(総合監修の日比野克彦と長島を含む)、そして牧原というメンバーでキックオフした会議だったが、早い段階で中心には複数のろう者が入っていた方がよいということになり、9月からは雫境も参加することとなった。牧原は「意思決定の場においては数の問題はやはり大きい」と言い、長島も「ろう者が一人であるということで牧原さんがろう者の代表のようになってしまうことの難しさを感じた」と振り返る。意思決定についてはもちろん数だけの問題ではない。今回、牧原が構成・演出を担当しているように、マイノリティとマジョリティの関係が問われるプロジェクトにおいて、決定権を持つポジションにマイノリティがきちんと置かれていることもまた重要であると長島は強調していた。
『黙るな 動け 呼吸しろ』は「ろう者のまちと聴者のまちが分かれて存在する世界」という設定をベースとした作品だ。牧原は、ろう者同士ではろう文化についての話をすることがあるが、聴者自身に聴者の文化について聞いても答えが得られることはほとんどないということに触れつつ、「この作品が聴者が自身の文化について考えるきっかけにもなればいいのでは」と思いこのような設定を採用したのだと説明する。同時に、ろう者のまちという設定を通して、ろう者の文化についても一から新しいものを作っていけるのではないかとも述べていた。現在のろう文化は聴文化から大きな影響を受けている。たとえば文字文化ではない手話にも漢字と対応する手話があったり、ろう者を表す手話が耳を塞ぐ形で「聞こえない」ことを意味するものになっていたりすることも聴文化からの影響だ。では、聴文化からの影響が一切ない世界ではどのようなろう文化が生まれてくるのか。聴者のまちとは交流のないろう者のまちという設定は、そのようなかたちでろう文化の可能性を改めて考え直すためのものでもあるのだ。
実は本作では創作プロセスそれ自体もろう者チームと聴者チームで別々に進行してきた。まずはろう者チームが先行して2024年7月から稽古をスタート。長島は当初、稽古開始は台本が完成してからでもいいのではないかと考えていたそうだが、牧原から、文字を持たない手話での創作においては、実際に作っていかないと台本自体が作れないのだと聞かされ、ろうチームの稽古が先行してはじまることになったのだという(念のために付言しておくと、日本手話は日本語とは異なる体系を持った文字を持たない言語である)。その後、8月には聴者チームによるろう者チームの稽古見学もはじまり、両チーム合同での街歩きワークショップなどを経て2025年2月に聴者チームの稽古がスタート。3月には初めての合同稽古も行なわれた。
一方で牧原は、聴者チームがろう者チームの稽古を見学したときに頻繁に発せられる「面白い」という言葉に対する違和感に触れ、そこに対等な関係はあるのかという問いを投げかけてもいた。この問いはいつでも繰り返し立ち戻る必要のあるものだろう。それを受け長島は、本来は双方に出会いや発見があるはずで、そこに非対称性が生じてしまうことはよくないと述べつつ、創作において文化の差異を「面白がる」ことの重要性についても改めて確認。牧原もそれについては同意しつつ、ろう者が聴者と同じ体験をする機会は限られているので、そういう機会をもっと増やしていくべきだろうと応じていた。
本作では「ろう者のオンガク」が一つの大きなテーマになっている。だがそれは、聴者の音楽をろう者にもわかるように翻訳したようなものではなく、あくまでろう者コミュニティのなかから生まれてきた非言語的なものを「ろう者のオンガク」として発信しようとする試みなのだという。佐沢はそれを「手話ならではの韻律や私たちの中から生まれてきた心地よいと感じるもの」と表現していた。ろう者チームのメンバーでディスカッションを重ねながら、トークの行なわれた8月末の段階ではようやく「ろう者のオンガク」とは何かということが見えてきた段階らしい。